komaは2021/6月 59歳6ヶ月で退職し、30代後半からの20年間は単身赴任をしていた。
仕事は地方の一部上場小売業の本社に勤めており、自宅に帰るのは週末だけ。
週末は休みだが、盆暮GW含めまとまった休みは連続3日が最高で、それ以上の休みは新婚旅行の時くらいだった。
おかげで娘とはほとんど一緒に生活をした実感がないほどであり、娘とケンカした時『パパは自分の家にかえれ!!』と言われた時には凹んだもだ。
そんな生活が続いていた中、社内のゴタゴタに巻き込まれ、結局会社方針に納得できず会社を辞めることになったのだ。koma的には65歳までは現在の仕事を続けるつもりでいた。急な退職となり自分でも何がどうなるのか全くわからず不安だったのが本音である。
辞めることが決まったのが3月頃であったか。そして退職日は6月の初旬に決まっていたので、ここからの3日ヶ月はある意味針のむしろとでも言おうか、地獄でもないが、本当に嫌な3ヶ月間だったと記憶している。
正直、仕事には身が入らず、辞めてからのことばかり感がる時間が増えた。
辞めてから本当に生活していけるのか? とりあえずシミュレーションでもするか・・エクセルでライフプランを見よう見まねで作成したりました。 また時間ができたら何しようか? しかしコロナ禍だしな・・
まず具体的な動きとしては、単身赴任先から自宅への引越しを考えた。単身赴任歴20年ともなると、そこそこの生活用品は揃っており、とても自宅にに入り切れるとも思わなかった。冷蔵庫、洗濯機、家具類、食器に調理器具、寝具、雑貨類等々、自宅で使えるものは持ち帰る使わないものは割り切って捨てることにした。
しかし、何がどうしようと時間は確実に経過していくのだ・・
そして3ヶ月は意外なほど早く過ぎ去っていった・・
引っ越しも済み、いよいよ20年ぶりに家族と一緒に暮らすことになったのだが娘が高校3年の受験生だったこともあり、かなり気を使うことになりそうだと危惧したものだった・・・
最終の出勤を終え、花束を持って自宅に帰り、いよいよ明日から毎日が日曜日とい生活が始まるのだと、不思議な感情を胸に新しい生活が始まろうとしていた。
退職後、最初に必要なのが社会保険の手続きが最優先事項となる。事務手続きに期限があり、いきなり毎日が日曜日とはならないようだ。
社会保険は
①健康保険⇒任意継続or国民健康保険 どっちが安いかよく確認が必要 (20日以内に申請)
②介護保険⇒健康保険に準ずる
③国民年金保険⇒60歳までは義務。配偶者も第3号被保険者から第2号被保険者に変わるため加入する必要あり
④雇用保険⇒ハローワークで手続き。失業保険の手続き7日間の待機期間と2ヶ月間の給付制限あり。3ヶ月目から受給可可能 自己都合(退職含む)の場合90日〜150日、 会社都合の場合90日〜330日で支給額はボーナスを含まない平均賃金の45%〜80%
⑤労災保険⇒関係ない(会社勤めの人だけ)
まずは地元の協会けんぽ事務所に出向き健康保険の任意継続手続きを行った。任意継続とは最高で2年間サラリーマン時代と同じ健康保険の待遇が継続できる制度だ。ただし働いている時は会社が半額を負担していたが、任意継続の場合は全額個人負担となる(涙)。ただ全額負担といってもkomaの場合、国民健康保険と比較するとメリットがあった。任意継続の場合、扶養家族も含まれるが、国民健康保険では扶養という概念がなく家族全員が個別で加入しなければならず、前年の所得が高かった場合にはびっくりする金額となるのだ。komaの任意継続保険料は月額34,650円也(年間だと41.5万にもなる!) しかし、これで安心して病気になれるぞ。。
次に役所に行った。60歳の誕生日までは国民年金への加入が義務なので残り数ヶ月は月額16,520円を支払必要がある。さらに妻くんと 20歳になる娘(大学生)の分もプラスになり国民年金保険料だけで月額49,560円にもなるのだ。現実的に自分の財布から捻出するとなるとかなりキツイ・・
komaの場合は田舎企業の役員だったこともあり、失業保険は受給できない(残念無念)
社会保険の手続きはこれでOK
単身赴任先のアパートの最終確認立会を済ませ、やっと一段落。これでゆっくりできるぞ。
さて何やるか? いままで出来なかったこと全部やってやる!とは言っても・・はて どうしよ?
取り合えず健康が第一だ。エニタイムフィットネスの会員となり、なまりきった体を鍛えることから始めた。
次に何かの勉強はしたいと思い、老後のライフプランニング等にも興味があったことと、あまり優秀ではないが、投資の経験もあることからファイナンシャルプランナー(FP)の勉強をしてみようと思い立つ。老後のお金事情ってどうなのか?komaは結構な不安を持っていった。そして老後のお金人関して、少しでも人の役に立つことができるかもしれい。とりあえず3級からスタートすることにした。試験は3ヶ月後の9月だ。
これで午前中はトレーニング、午後は勉強をすることが決まった。土曜日曜を休みとし、会社時代と同じ生活スタイルを作ることにした。(土日が待ち遠しい的・・)
退職しのが6月の初旬であった。各種手続きや、家に持ち帰った荷物の整理、またこの頃コロナのワクチンの第一回目の接種の時期でもあった。
コロナ禍でもあり、海外旅行などまったく行けず、観光旅行ですら躊躇する時期であった。しかしキャンプや登山、自転車などは人と密にならないことから人気があったのもこの頃である。komaも登山にハマり頻繁に山登りに行っていたので、退職記念?も含め翌月の7月中旬から北海道の百名山を一気に登る旅に出かけた。地元の茨城大洗港から北海道の苫小牧港まで愛車のエヴリィバンに荷物を押し込み、基本は車中泊しながら北海道にある100名山9座を一気に回るつもりだ。最初は最難関の幌尻岳から始まりトムラウシ山〜十勝岳〜大雪山(旭岳)〜雌阿寒岳〜斜里岳〜羅臼岳〜利尻山〜羊蹄山と9座すべてを走破した。しかし、短期間でトチ狂った登り方をしたおかげで膝がブッ壊れ、それ以降山に登ることが出来ななってしまったのだ(教訓:無理は絶対ダメ・・投資と同じだ)
帰ってきてからは9月の試験に向け勉強にとりかかる。
そうこうしてるうちに、試験本番。まぁ、いっても3級なので・・この時点ではkomaは59歳! 結果は「合格」
すぐさま2級の勉強を始めることにした。試験は4ヶ月後の2021/1/23 頑張ろう!60代最初の試験である。
気がついたら毎日が忙しくなっている。とても毎日が日曜日とは感じないではないか。案外充実するものである・・
この頃、妙に悲しく思える日があるのに気づいた。毎月、月末の25日である・・・ そう給料日である。40年間毎月25日に支給され続け、口座に自動的に金が振り込まれることが脳に染みついているのだ。スマホで支給金額をチェックするクセが抜けきらず、入金もされていない我が口座を老眼のこの目で見てしまうのである・・・当然振込はない(悲しい)
年が明けFP2級の試験当日。地元の私立高校が試験会場として使われ、そこで受験となった。相当な人数が受験するようである。
手応えは、まあまあといったところ。1ヶ月後 結果は『合格』! しかしまだ2級じゃないか。1級目指してやるしかない!
FP2級の上はCFPとFP1級技能士の2つがある。どちらも同じステータスであるがCFPは民間、FP1級技能士は国家試験である。
かなりハードルは高いがCFPとFP1級技能士の両方を取得することにした。まずはCFPから勉強を始めることにした。CFPの試験は金融・不動産・ライフプラン・リスクと保険・タックス・相続の6科目があり、それぞれ別々に全ての科目に合格する必要がある。1回の試験で1科目づつ合格して何年もかけても良いのだ。試験は年2回実施されるので、KOMAは1回の試験で2科目づつ選択受験し一度も失敗しなければ1年半で全科目の取得が可能である。その後FP1級の実技試験に望む考えでいた。6科目の中で金融は特に難しく難解な計算問題が多く、通称『ラスボス』と言われているのだ。またFP1級の試験は実技と学科があるが、CFP資格取得者は学科試験が免除されるので実技試験だけ合格すればFPに関する資格取得は全てコンプリートすることになるのだ。60歳を過ぎてからの挑戦で自信はなかったが、努力の甲斐もあり、CFPは2023年7月に最後の教科となったラスボスをやっつけ、6科目コンプリートすることが出来た。勢いそのままに同年9月1級実技を受験し2023年11月に合格したことでFPに関する資格は全て取得することが出来たのだ。(パチパチパチ)
FPに関する仕事を考えたところ最終的にWEBを活用したビジネスが出来たらと考えているところだ。
2023年も終わりに近づいていた。
2021年6月に退職して早くも2年半も経過していて、その速さに驚いたものである。
なんで時間が経つのが、こんなに早いのか?
会社勤めの時のストレスが、今は全く無くなったからであろう。
会社を辞めて最も良かったことはストレスが無くなったことである。これだけは間違いない。
ストレスが生む健康被害を改めて感じたものだ。
次回へとつづく
コメント