komaの場合は59歳と7ヶ月で会社を辞めた。定年退職でもないので65歳までの継続雇用の対象でもなく完全に会社を辞めたのだ。自分の場合は地方の小売業で一応役員に選任されていたこともあり、雇用保険に加入することが出来ない。したがって雇用保険(失業保険)の受給できず、辞めた翌月からは完全無職で無給になったわけだ。社員の場合、自己都合で会社を辞めた場合には最高で150日まで受給できるのだが・・・
役員とは聞こえはいいが、辞めるとかなり厳しい・・ 6月15日付けで退職(退任)したので、住民税は前年の所得に対して支払い義務が生じるので辞めた後でも住民税を払い続けることになり、さらに6月まで働いたので翌年も住民税をガッチリ納めなければならないのだ(これがほんと辛かった)。また健康保険も会社勤め時代は半分が会社負担であったものが、全額個人負担になるのだ。さらに妻くんの国民年金と自分の国民年金にも加入し、支払うことに(大学生の娘の国民年金も)3人分の国民年金はさすがにキツイ(T_T)
会社を辞めた年と翌年は、お金に翼がはえて飛んでいく姿が幻でなく実際のことのように感じたものだった(T_T)
しかし会社を辞めた後不安になることは正直なかった。
年金を受給できる65歳までの生活費と娘の学費は準備していたこと。また65歳以降年金が収入の中心になるのだが、不足分をカバーするための老後資金もカツカツではあるが準備していたことが、焦りを感じなかった要因だと感じている。何事も準備が大切だと改めて感じた。
会社を辞める
40年間働いた会社を辞めることになった時は自然に涙が流れた。
簡単に言うと社長と経営方針が合わず、自分を曲げることができなかった自分が会社を去ることになったわけである。
辞めたくて辞めたわけでも、定年で辞めたわけでもないのだ。
あのときの涙は間違いなく悔し涙だったと思う。
単身赴任先から妻くんに事情を説明したとき、またしても涙が溢れて言葉が詰まってしまった。
こんな感じにビックリした妻くんは文句も言わず「しかたないよ」とだけ言った。
会社を辞める半年前のことである。
その後、年度末(3/15)までは普通に勤務したが、それ以降の3ヶ月間は週1回だけ出社しソフトランディングの状態となった。
ほぼ幽霊社員のような感じだ。。
40年間も働き続けた最後がこれかよ。。
若干鬱気味にもなったが、気を取り直し辞めてからのことを真剣に考えはじめることにした。
立ち直りは早い方なので・・
まず、現在の資産を正確に把握し、働く必要があるか、働かなくても食べていけるかシュミレーションをすることから始めた。
会社の持ち株を処分することで、現在の資産にも余裕ができそうである。住宅ローンはすでに終わっている。娘の学資は6年(私立理系)あるが、なんとかなりそうだ。年金受給が始まる65歳までにかかる生活費。年金の不足分をカバーするための老後資金まで正確に計算した。(年金は厚生年金だけ65歳から受給し、基礎年金は70歳に繰り下げする予定)
とりあえず、今直ぐ働く必要はなさそうである。じゃ何する?
趣味の山登りやバイクといっても明日から毎日ということでもない・・
昔からお金に関する計算が好きな方であった。投資も30代後半から始め20年以上のキャリアはある。その間、リーマンショックやITバブル、びっくりするような円高時代を経験している。投資に関する知識や経験も普通の人よりかはあるかもしれない。
今回も自分の将来についてのシュミレーション等、楽しみながら出来た。以前からファイナルプランナーとい資格が存在していたことは知っていた。お金に関する幅広い知識を持ち、ライフプラン等のアドバイスを行うらしいことも、何となくではあるが理解していた。
とりあえず、FPの3級から勉強を始め最終目標をFP1級にすることを決めた。
その後は火曜日〜金曜日の11:00〜17:00までは図書館で勉強することが日課になった。
2年6ヶ月でなんとかFP1級を取得することが出来た。そしてやり始めたのが、このブログである😁
会社を辞めてショックだったこと
最も大きなショックが社会的信用を失ったことだ。
娘が大学に合格し、一人暮らしをすることになり、不動産屋でアパート探しをしていた時のことだ。良い物件が見つかり契約をする段階で、職業や年収が契約の条件になっているらしく、無職で無給なkomaにはアパートを借りることが難しそう・・・なのだ(T_T) 社会的な信用を失ったと感じた瞬間だった・・
クレジットカード作ってあって良かった・・
最終的には預貯金の残高証明を提出して何とか借りることが出来た ホッ。
会社を辞めた後は20日以内に協会けんぽに出向き任意継続手続き(健康保険)を行わなくてなならない。その際、担当をしていただいた方から「長年、お疲れ様でした」と言われたとき、社会から押し出され高齢者の世界に入ったような淋しい感情がわいた。
40年間、毎月25日に振り込まれていた給料が振り込まれなくなるのはショックだ。収入が無くなるということは、やはり不安を感じるものだ。なんせ貯金が、どんどん減っていくのだから・・・
自分の場合、
① 家族を含めた今後のライフイベント表を作成 ⇒ 将来の予定やイベントを時系列で作表
② キャッシュフロー表の作成 ⇒ 1年を単位とし家計の収入と支出から資金収支と貯蓄残高を予想し、エクセル形式で作表する。期間は妻が100歳まで生きたと仮定したもの。(長生きも長生きリスクとされている(T_T)。そのための対策としては年金の受給年齢引き下げが効果的)
作成したライフイベント表とキャッシュフロー表は年末時、予定に対して実数を記入し、修正をしていくのだ。
これだけで、ずいぶんと気が楽になった。
特に世界景気や日経平均が順調なこともあり、資産が計画を上回る結果となったことで、より安心感がでた。
会社を辞めて嬉しかったこと
会社に縛られなくなったことが最高にハッピーだった♬
火曜から金曜まで図書館で勉強していたが、自分で決めたことなので、勉強すら楽しく感じる。
疲れが溜まっている時は、その日を休みにできる⇒自分主導になる
兎に角ストレスがなくなる!これが一番かも
好きな事が何でもやり放題! 辞めてから資格の取得したり、北海道の100名山全て制覇したり、バイクで北海道一周ツーリングしたり、真冬に沖縄へ行きツーリングしたり、フェスやライブに行ったり・・ 何十年もかかっても出来なかったことが、わずか3年でやり尽くした感じがする。まだまだやりたいことがあるのだが。
あと奥さん娘くんと仲良しになった💕 昔はストレスで常にイライラしていた
ジム通いが出来るようになったこと(しかも午前中の空いてる時間帯に)
ブログが出来るようになった(昔もやったことがあったが、全く続けられなかった)
猫と毎日遊べるようになった(とら君と神楽ちゃん)
辞めることのマイナスは何と言ってもお金の心配に尽きる。社会的信用なんて瞬間的なことだ。
辞めて良かったことの方が、断然多いよ!!!
辞めて3年経って思うこと
辞めて丸3年が経ったが、来週から会社に戻ったとしても、普通に働ける感じがする、ホントに。
やっぱ40年も務めた会社だからか、仕事が体に染み付いてるのだと思う。逆に辞めてから経験した事が活きて、前より深みのある仕事が出来るかもとさえ思う。
会社務めをしている時には、狭い世界の中で活きているので、思った以上に視野が狭くなっていたと感じた。
逆に新しい仕事に付くのは正直辛いかもしてれない。今からハローワークに行ってシルバー人材に応募するのは・・・
当然、絶対的にお金が必要だとしたら、そんなワガママは言えないのだろうけど。
自分のやりたいことが出来なくなることが嫌なのだ。
社会との繋がりが希薄になる心配もあったが、家族とのコミュニケーションやSNS、テレビなどからも新しい情報が次々と入り、孤独感なんて全く感じないのが現実。断言!
後2年ちょいで年金受給年齢に達する。指折り数えている訳ではないが、1つの節目であることに違いはない。
65歳で年金受給資格を得ることができる。一方で前期高齢者の仲間入りだ。自分ではまだまだ若いつもりでも客観的に見れば確実に高齢者に属することになる。介護保険も1号被保険者となる(40歳から64歳までは2号被保険者)、iDeCoにも加入できない。
65歳は色々と変わるのだ。10代に頃に20歳を節目に感じるのと同じように。
最後に辞めて良かった思うか
自分なりの結論としては、59歳7ヶ月辞めて良かったと自信を持って言える。
なぜなら今が一番幸せだからだ。
辞めてしばらくは、社会からはじき出された感覚だとか、お金に関する不安が頭をよぎっていたが、現在では全く感じることもなく楽しく充実した毎日を過ごしている。
人生の成功を自分の尺度として示すと 家族との時間、社会貢献、自己研鑽、趣味娯楽 を大切にすることである。
仮に人から相談された場合、お金に不安がなければ思い切って辞めて、自分の好きな人生を全うすることを勧めるだろう。
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